ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽と、あたたかな手仕事と。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。一時退避中につきラオ語講座絶賛開催中です。

COPEビジターセンターで学ぶラオスの昔と今

さばいでぃー!

みなさんこんにちは。

語学研修があまりにハードで毎日燃えカスになってます、

ラオスのラオ子です。

 

ラオスの首都ヴィエンチャンでの研修が始まってから

はや2週間が経ちました。

語学研修が始まるまでは、ブリーフィングや各種手続き、

大使館の表敬訪問と、コンテンツ盛りだくさんで過ごしました。

その最終日に行ったのが「コープビジターセンター」です。

 

コープビジターセンターとは

私は、

かつてラオスに大量の不発弾がばら撒かれたことを、

それが一体何故なのかを、

そして今も安全な生活を送れない人が居ることを、

 

 

恥ずかしながら

 

www.laoko.net

この本を読んでラオスの近代史に触れるまで

ほとんど知りませんでした。

 

ラオスは、ミャンマー、カンボジア、タイ、中国、

そしてベトナムの5か国に囲まれた内陸国です。

1953年にフランスからの独立を果たしたラオスでは、

国内で王国派と共産主義派の対立による内戦が勃発し、

時を同じくして隣国で起こっていたベトナム戦争と

それに介入していたアメリカとの間で

以下のような構図が出来上がりました。

 

<ラオス>

・国内で『パテトラオ(愛国戦線)=共産主義』と『王国派』が対立

・アメリカが王国派を支援しパテトラオに圧力をかける

 

<ベトナム>

・北ベトナム軍と南ベトナム軍が対立

・北ベトナム軍がパテトラオ(共産主義派)を支援

・アメリカが南ベトナム軍を支援

 

つまり、かなりざっくりまとめると、

 

パテトラオ・北ベトナム軍

VS

王国派・南ベトナム軍・アメリカ

 

という構図で、戦争が繰り広げられていたわけです。

(解釈が間違ってたら・・・すいません。自分で調べてください笑)

 

当時、北ベトナムと南ベトナムは、

フエのDMZ(非武装地帯)によって分断されていました。

「北緯17度線」とも呼ばれるこの場所は

22年ものあいだDMZとして激しい戦火に晒されてきました。

 

北ベトナム軍は、ベトナム戦争で

最も戦火の激しい非武装地帯を避けて

南ベトナム軍領地に物資を支援するため、

ラオス南部に「ホーチミンルート」をつくり、

それまでラオスの山岳地帯で対北ベトナム軍にそなえて

ゲリラ訓練を実施していたアメリカは、

このホーチミンルートを断つことを目的に

ラオスへの空爆を開始しました。

 

ラオスはタイとベトナムの間に位置しているために、

タイに基地を設けていたアメリカ軍に

ベトナムを空爆したあと余った爆弾を

投棄するための投棄地として使われ、

それがラオス南部に大量の不発弾(UXO)を残した

大きな原因となったとも言われています。

 

隣国カンボジアは「地雷の博物館」とも呼ばれ

埋設数世界一を誇ると言われていますが、

ここラオスは空爆数が世界一。

一つの爆弾から数十、数百の小爆弾が飛び散る「クラスター弾」は、

推定2億8千万もばら撒かれ、

同時期に投下された7500万もの不発弾と共に

その30%が本土に残っているといわれています。

18ある県のうち10県が不発弾に汚染されており、

その土地に住まう人たちを常に脅かし続けているのです。

 

数ヶ月前には、シェムリアップの郊外にある世界遺産のロリュオス遺跡群近くの 公立小学校横の森で、爆発事件がありました。 子どもたちが鉄くずを売ろうと不発弾を触ったところ爆発してしまい、 4人が酷い裂傷で病院に運ばれたそうです。 (ニュースで見た時は亡くなったという情報はありませんでした) また、牛を2匹繋いだ牛車に子ども二人を乗せて走っていた男性が 対戦車用地雷を踏んで吹き飛び、みんな亡くなってしまったという 痛ましい事故も、私がここに来てからのこと。 地雷撤去が終わる=”100%安全な土地"になったというわけではありません。 雨季の激しい雨で地雷を覆っていた土が流れてしまうため、 地中深くに眠っていて探知機に反応しなかった地雷が 出てくることもあるのだそうです。 「何個撤去したかではなく、国土の何パーセントが安全な土地になったかが重要」と 以前とある方から伺いましたが、こういうニュースを目にするたびに 本当にその通りだなと思います。

カンボジアの国境の町”ポイペト”ってどんなとこ?前編 - カンボジアのボジ子。

 

過去の自分の記事を引用しましたが、

地雷、不発弾などの共通の問題として、

”現在進行形”で人の命が脅かされていることがあげられます。

 

不幸にも、ラオスで人気の”ペタンク”というスポーツで使う鉄球に

大きさが似ていることから、

子どもが怪我をしたり、命を落としたりすることもあるそうです。

 

不発弾は、インフラの整備が遅れる大きな要因となるだけでなく、

UXO脅威から身を護るための教育を受けていない子供たちや

危険性を分かっていてもそこで暮らす以外

方法の無い農業従事者の生活を40年以上も脅かし続けているのです。

 

ラオスに来て、病院で活動する看護師の先輩隊員から

ラオスの医療の現状を教えてもらいました。

 

私はバイク隊員なので、現地に行ったら

タイカブに乗ることになります。

怪我をしたときに自分が運ばれることを考えながら話を聞くと

背筋が凍るような話ばかり。

自分が安全に運転しているつもりでも

100%安全ではないと肝に銘じて活動しようと心に誓いました。

 

 

もしも、先進国のような医療技術が国のあちこちにあれば。

もしも 、その医療をすぐに受けられるだけの収入があれば。

 

被害に遭っても、障がいはもっと軽くて済んだかもしれない。

生きられた命もあったかもしれない。

 

じゃあ、命が助かったとして、

その後の一生を誰が支えるんだろう。

機械に繋がれた命や障がいの残った体に

かけられるお金を持つ人が、いったいどれぐらい居るんだろう??

 

と、たらればで色々考えながら展示物やショートムービーを見て、

「残虐性、残存性、無差別性」という

不発弾や地雷の説明によく使われる言葉が

いかに人々の生活を脅かしているかということを考えました。

 

1964年以降、クラスター弾の被害に遭った人の数は5万人と言われています。

そのうち2万9千人は亡くなり、2万1千人が負傷。

そういった人たちを支援するためのNGOやNPOが

ラオスには多数存在しており、このCOPEビジターセンターでも、

義肢装具の無料提供やリハビリテーション、

外科手術や理学療法・作業療法などの医療などの

無償提供が行われています。

 

支援は1度で終わるものではありません。

体の形の変化や義肢装具自体の摩耗・破損など、

その時のニーズに合わせた義肢の提供、

また長期的な治療やリハビリテーションが必要になります。

 

 ショートムービーを見るなかで、

被害に遭った人の”自立支援”というものが

いかに大変で、そしていかに必要とされているかを知りました。

日本と同程度の国土面積をもつこの国が、

3割以上がいまだにUXOに汚染されている中で、

人口増加に伴って相対的に被害者が増えている現状をケアするだけの

インフラストラクチャは整っておらず、

ハード面・ソフト面共に問題を抱えていることは

言うまでもありません。

それらの受け皿に乗る機会に恵まれなかった被害者は、

仕事も出来なくなって家族に負担をかけることになり、

体の自由を奪われるだけでなく尊厳まで奪われることになります。

 

いつもこういう場所に来ると色々考えますが、

この問題に対して自分が直接できるとが何かというよりは、

自分が今から2年間お世話になる国が

どんな歴史のうえにあるかを知るために、

はじめのうちに行っておけてよかったと思います。

 

COPEビジターセンター公式ウェブサイト

COPE Laos – Provider of prosthetic, orthotic and rehabilitation services in Laos

 

 

新しいリンク追加しました!

www.laoko.net

 

「赤道直下 新天地」と隊歌「若い力の歌」の歌詞にもあるように

基本的に任地は暑い国が多いのですが、

マイナス数十度のモンゴルで活動する隊員も居ます。

異世界感あふれる投稿楽しみにしてます!

 

・・・

 

戦争博物館など、他にも勉強になる場所がいくつかありそうです。

任地での生活が始まったらこういう場所にもなかなか行きにくくなります。

語学研修中ではありますが、首都ヴィエンチャンに居るうちに

色々行っておきたいです。