ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽と、あたたかな手仕事と。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。一時退避中につきラオ語講座絶賛開催中です。

ただいま、ビエンチャン県!

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

ああ・・・やっとこのタイトルの記事が投稿できました。もうね、今の時点で感無量です。今日の記事は以上です、ってくたびれたノートパソコンをパタッと閉じて、飲めないビールで乾杯したい気持ちです。

 

首都待機中のはなし

 

 

成田で懐かしい隊員たちと再会できたときも、ラオスの空港に降り立ったときも、14日間のホテル隔離を経て街中をやっと歩けるようになったときも、ロックダウンで静まり返った街が徐々に活気を取り戻したときも、何度も通った思い出の店がやっと再開したときも、急な帰国が決まったあの日にぽっかりと空いてしまった穴は、実は塞がっていませんでした。むしろ、12月初旬に帰国が決まっているにもかかわらず、ロックダウンの長期化によって赴任の目途が立たず、「もしかしたらこのまま帰ることになるのでは」という不安と、「もしそうなったら私はどこがゴールだと思えばいいんだろう・・・」「この1年半待ったのは一体何だったんだろう・・・」というもっと大きな不安に襲われ、胃がキリキリ、したりしなかったりしました。

 

 

当初の予定では、9月29日には任地に居るはずでしたが一旦白紙になり、赴任の可能性がちらっと見えては消えていきました。先の見えない不安、任期だけが減っていく焦りのなかで、自分のメンタルをどうにか保ち、整えなければと考えたところ、「ゲストハウスの待機暮らしも楽しく有意義に」と前向きにあれこれ頑張る隊員さんたちから元気をもらえたのが、大きな救いだったと思います。

 

そして食事について。可能な限り外出を控え、余計な出費を抑えるために、各種デリバリーサービスを駆使していたわけですが、600円以上頼まないと割引クーポンが利用できないので、ゲストハウスに居そうな隊員と共同購入していました。「今日のお昼、PVO頼みます」「じゃぁわたしツナ」「わたしはパテで」みたいな会話があったり、どこの何がおいしかったとか、今度一緒に頼みましょうとか、毎日絶対に必要なことをわいわいやるのが日々の大きな楽しみでした。特に、お隣さんが食に気を遣うありがたい存在だったので、今までだったら「好きな食べ物はカロリーです!!」とか言ってしまっていた私も、アラサーらしく野菜を取り入れたヘルシーな食事ができていました。感謝。

 

もうひとつ、ロングお散歩もやってみました。といっても、感染リスクは極力抑えたいので、「何かをしにいく」のではなく「〇km歩く」を目標に、炎天下のビエンチャンをひたすら歩く、歩く、歩く。一番多い日で23,000歩、14kmほどになったでしょうか・・・それも早起きが苦手&お掃除さんが10時すぎに来るので、昼前に出て夕方帰るという一番外に出ちゃいけない時間帯にやっていたのですが、これがまた楽しいんですよね。トゥクトゥクで素通りしていたような場所をひたすら歩くだけ!なんですが、ここのコーヒーが美味しいよ!このお寺が渋くていいよ!肉たらふく食べるならここやで!!と前回赴任時の開拓の成果を披露しながら、暑さでだらだらなりながら、マスクの中で蒸しあがりそうになりながら、ひたすら歩く。そしてゲストハウスに戻って、いっぱい食べてシャワー浴びて寝る!翌朝起きたら頭がスッキリする!日本での仕事中は月間35万歩前後歩いていたので、歩くってこんなに大切だったんだなと気づかされた大切なルーティーンでした。

 

そしてもうひとつは、ラオ語の勉強です。今回が新規派遣の隊員さん二人と一緒に、昔のラオス隊員さんが使われていたテキストを使って、活動で使う会話や長文読解をしました。私がそろそろ赴任できそうな雰囲気になってきてからの打ち込み方が半端ではなく、一週間中5日、ほぼ語学訓練のような感じで、2時間で終わる日もあれば、3時間半カッスカスになるまで勉強する日もあったりと、ものすごく有意義に時間を過ごすことができました。私自身まだまだラオス語には自信がなく、最近ラオス人の先生からの語学訓練を終えたばかりの新隊員さんからは私の知らない語彙が飛び出したり、「〇〇とどう違うんですか?」って質問されたときに「さぁ~・・・何なんでしょうねぇ~」ってなってしまったり・・・それが悔しくて、そして二人があまりに真剣に打ち込んでくれるので半端なことは言えないと思って、私自身予習に打ち込む時間がどんどん増えていきました。そして、語学の先生をされていた方にその話をしたら「語学は教えるのが一番の勉強になるんですよ!!」ととても前向きになれる言葉をいただいて、確かにそうだよなあ・・教えてるんじゃなくて、私がアウトプットさせてもらってるんだよなあ・・・と、ありがたく勉強会をさせてもらいました。おかげでテキストの1/3以上を終え、それなりに噛み応えのある長文読解もある程度理解に繋げられましたし、何より、ほめ上手な教育系隊員さんたちだったので、このネガティブになりがちな環境下で私の自己肯定感を爆上げしてもらえて、Win-Winどころの話ではないぐらいたくさんのものを受け取ったと思います。

 

というわけで、首都に居る間は今後の企画書を作ったり、延長できないか交渉してみたり、いつ行けるかはわからないけどいつでも行けるようにあれこれ買い物してみたり、なんだかんだ毎日誰かと会ってどこかに出かけながら、でも可能な限りミニマムに行動して、待機生活をつづけました。...デリバリーサービスで美味しかったお店についての記事、いつか別で書きたいなあ。なんて。

 

赴任前日

10日のお昼ごろ、ちょうどご飯を食べていたときに、タスクフォースから許可が下りて赴任が確定したとの連絡をもらいました。一番最初に伝えたのは、前回赴任したときからずっとお世話になりっぱなしの先輩二人とのグループラインでした。

 

そのあと調整員さんから「翌日か翌々日、どちらに赴任するか希望があれば」と言われましたが、「食欲の観点からすれば明日は1日この世の終わりみたいに食べまくって明後日赴任したい・・・もう少し任地で使うものも買い足していきたい。でも、もし明後日赴任にして明日タスクフォースの決定が覆るような感染拡大が起きたらどうする?私はそれでいいのか??」と頭をフル回転させ、任地に行きたい欲がギリギリのところで食欲に勝って「明日行きたいです!」と返事をしました。

 

そこからはもう・・・本当にどたばたで、いつかやろうの大馬鹿野郎になっていた用事をばたばたばたっと済ませ、買い物に行き、ちょっといい夕飯を食べ納めして、それから深夜までパッキングしました。レインボーバッグ6個、スーツケース3個、段ボール大2個、ギター、バックパック、リュック・・・私は一体何年住むつもりで用意したんだ?と自分でつっこみたくなるぐらいの量になりました。

 

赴任当日

ゲストハウス待機組の遅起き選手権で常にトップの成績をおさめていた私でしたが、ᴐの日だけは遅刻できまいとめっちゃ早起き。6時ぴったりに目を覚まし、身支度を整えて最後のパッキングをしながら、冷蔵庫の隠し財産を胃袋へ。ひとつはPie my loveサーモンポテトパイ、もうひとつはサオバンヨーグルトのパッションフルーツ味です。

 

出発の30分前に待機組の隊員さんたちが荷物運びのお手伝いにきてくれて、あれだけあった大荷物は光の速さで1階へ。そしてまもなくJICA公用車が到着し、前回赴任時に買って保管してもらっていた自転車とともにぎゅうぎゅうに押し込んで、別れを惜しむまもなく任地に向けて出発することになりました。お手伝い・お見送りしてくれたみんな、ありがとう。

 

そういえば初めて赴任したときは、ちょうど赴任のタイミングでコミュニティ開発の先輩隊員のイベントがあって、みんなが旅立つのをドミトリーでお見送りしてしばらく首都に残ったんですよね。イベントが終わってから配属先の課長に迎えにきてもらって、JICAのスタッフさんと何やら話し合っているのが何一つ聞き取れずヒョットコみたいな顔をしていると、コミュ開の先輩隊員が「安全運転するように、いろいろ言ってくれてるよ。」と教えてくれました。すごい、こんなに早く話すの聞き取れるようになるんだ、と感動したのを今でも覚えています。

 

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任地へ向かう途中、「バンビエンまで1時間で行けちゃう」と噂の高速道路にほんの一瞬だけ乗りました。途中工事中のためまだ全面開通していないらしく、ビエンチャン県の県境にも全然到達しないぐらい手前で降りたのであまり速さは実感できませんでしたが、道は綺麗に整備されていて、広くて、ロックダウンの影響か車がほとんど走っていなくて、とても快適でした。

 

そのあとは、ひたすら工事中の13号を北上。日本の工事中とは全く違う、めっちゃハードな工事中です。ポンホーンの三叉路で南下し、ビエンカム郡に入ったころには、窓をあけて息も浅くなってるぐらいに酔っていて、新しくできた建物とか、つぶれたレストランとか、そんなものに気を配る余裕もないぐらいに酔っていました。

 

そのあと、前回赴任時もお世話になったゲストハウスに着き、あの時もお世話になった優しいお姉さんとの感動の再会。荷物をおろしてせっせと運び、JICAの車をお見送りして、部屋の中の直接接触する部分に残り少ないパストリーゼを振りかけまくり、綺麗に拭きあげて、モノを広げ、・・・と、隔離ホテル→待機ゲストハウス→任地ゲストハウスとそろそろ慣れ始めた引越し作業を終えたころには、陽がかたむきはじめていました。

 

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そう、この景色。この景色が見たかったんです。ゲストハウスの裏がわから見えるこの景色が。こっちのほうが眺めがいいからこっち側の部屋に移りたい、と言ったこともありますが、西日がまぶしすぎるからおすすめしないと本気で止められ、思いとどまりました。でもこの景色は、ずっと見ていたい。ずーっと変わらないでほしい。

 

赴任二日目

県境をまたいだため現在隔離中、まだ外出はできないことになっています。隣にある馴染みのラオス料理屋さんで食料を調達するか、反対側のお隣さんの商店で必要なものを買う程度にとどめ、まだ市場へも配属先へも大家さんのところへも行っていませんが、急激に事が進んだため追いついていない活動計画の修正などに時間を使ってだーらだーら過ごしています。

 

ただいま、ビエンチャン

日々変わっていくラオスの状況に一喜一憂しながら、すこしでもより良く、有意義に、楽しく、美味しく過ごせるように創意工夫した、首都ゲストハウス待機組のみんな。いるのが当たり前だった人たちが突然いなくなった(いなくなったのは私ですが)のは結構さみしいところもありますが、言うと調子にのりそうな人ばっかりなのでこれ以上はやめておきます。みんなが1日も早く任地に行って、待って待って待ちまくった自分へのハイパーご褒美タイムが始まることを祈ってます。ビエンチャン県組、待ってるで!

 

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夜中3時には鶏が覚醒をはじめ、あっちのほうではガチョウがヒーンと高らかに鳴き、午前中は向こうの茂みにいた牛さんたちが、影の動きにあわせて道路をぞろぞろと渡っていくときの、カランコロンとかわいらしいカウベルの音に耳を傾ける、そんな場所での暮らし~2nd season~が始まることにわくわくが止まりません。首都ビエンチャンの比じゃない田舎の野良犬と番犬には、震えが止まりませんが・・・。

 

活動が始まったら、いままでとは違うことで悩んだり、喜んだり、またいろんな感情に忙しく振り回されることになると思いますが、ゴールテープを切ってどや顔で日本に帰るまで、お付き合いいただけますと幸いです。