ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽と、あたたかな手仕事と。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。一時退避中につきラオ語講座絶賛開催中です。

2021年の振り返り

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

 

ラオスの国内新規感染者は増える一方、2022年1月1日からは、トラベルエージェントを利用したツアーであれば観光目的での入国が許可されることになりました。そこにはもちろん日本も含まれています。

 

政府発表では、オミクロン株の国内感染者は確認されていないとのことですが、ワクチン接種の必要回数接種が完了した割合もまだまだ50%に届かない状況で、2022年には人の往来がどっと増えることになるので、これからどうなっていくのかなあと不安に思っているところです。

 

さて、いよいよ2021年も終わりということで、いつも「ああどうしよう何もしていない」と焦るだけの自己肯定感の低い人生なので、「できたこと」がちょっとでもあったらさも凄いことかのように書きながら、1年の振り返りをしておきたいと思います。

 

1月

今年の1月は、神社ご奉仕のアルバイトからスタートしました。もう、干支一周以上、滋賀で年末年始を過ごすときにお世話になっている神社です。ですが、こんなにも参拝客が少ないことがあるのかと思うほど静かな年越しで、毎年の戦場みたいな三が日は何だったんだと思うほどでした。

1月前半はずっと神社だったのですが、後半からオンラインのマンツーマンラオ語レッスンを再開しました。2020年いっぱいは報告書をひたすら書いてひたすらネイティブチェックしてもらうというライティング中心の勉強で、その時は書いた文章をほとんど直してもらうレベル。千本ノックを受けているような感じです。インプットがあまりに多くて、一旦アウトプットしないと次に行けない気がしたので、2019年のハンディクラフトフェスのときにコミュニティ開発隊員が書いた報告書をあらためて翻訳してみることにしました。この報告書は、コミュニティ開発隊員全員で来場者に向けて手工芸品の意識調査を行い、評価グリッド法という方法で分析したものを、M隊員がまとめてくれたものです。大学院卒業の人が書く論文調の文章の語彙がそもそも難しい、内容も抽象的な表現が多く難しい、辞書で引いてももちろん出てこない、と、明らかに翻訳の練習にする題材間違えたやろって思うぐらい、あらゆる方向からドツかれまくってのたうち回りながら翻訳しました。(そしてほとんど赤が入りました。)

 

  

こちらに書いた『みみタロウキャラバン隊』の報告書を書き終えていろんなことがひと段落ついた1月終盤、再派遣までの生活費をなんとかすべく、人生で初めて派遣会社の面接を受けました。

 


読んでね。

 

2月

無事、派遣の仕事開始!ドラッグストア通算7年目。そして3社目。管理者要件を満たしているので割とどこでも雇ってもらえてありがたいです。派遣社員なので、仕事はもちろんフルタイムで、月160時間+残業ちょびっと。コロナ渦でのドラッグの仕事、それまでに無かったいろんな難しさを感じながら働きました。コロナ渦だかららこそ軽傷のときは自分でなんとかしたい、こんな症状が出たけど病院にかかるのも怖い、と相談される事もあり、受診勧奨するタイミングかどうかとか今まで以上に考えながら接客対応して、これはこれで良い経験になったと思ってます。

 

そしてこの月も、1月に引き続きひたすらラオ語レッスン。午前中にラオ語レッスン受けて、午後は仕事行って、遅番で22時すぎに帰宅して、予習復習して、また朝からレッスン受けて、と、仕事とレッスンの2本立てでかなりメリハリのある生活をしました。(そのあと集中の糸がすべて切れる日がきます)

 

3月、4月

3月以降も引き続き、仕事に語学に、ひたすら繰り返しの日々。3月末に兄家族が実家に戻ってくることになり、私をHATEしてやまない可愛い甥っ子に激しく拒絶されながらも一方的に愛をぶつけるだけの人生でした。

語学レッスンは、報告書の翻訳を一旦終えるところまでやり切りました。その後、今まで習った単語をエクセルにまとめ始め、単語だけだと使い方を忘れてしまう恐れが大いにあったため用例を書き、それをひたすら先生に添削してもらうという新たな千本ノックを始めました。そしてこのタイミングで、次の隊次の訓練のために先生がオンラインレッスンできなくなり、私自身も一休みすることに。

 

5月

3月ごろに話し合いをして、私の再派遣予定は、6月末~12月までの6か月間になるはずでした。現隊員で唯一ハンディクラフトフェスでのブース出店を経験した身として、次の隊次の人たちに引継ぎをしたい!という気持ちがあり、10月末~11月初旬のハンディクラフトフェス2021に参加できるように、この期間を選んだわけです。

 

ところがどっこい、さて来月末にはラオス!!と思っていたら、ラオス側がロックダウンしてしまって公用旅券や入国許可などの諸々の手続きが進められない、とのことで一旦延期になりました。最低でも7月になるだろうと見通しが立たなくなり、6月20日付で退職予定だった私は派遣会社と派遣先に頼み込んで特例で1か月延長させてもらうことにしました。(本来は3か月更新)

 

6月

「ああ・・・今ごろ荷物詰めてたはずやったのに・・・」「ほんまやったらもう空港行ってるはずやったのに・・・」と、考えても仕方のないことを考えて落ち込む日々。そして7月の渡航も無理になり、ワクチンを打たないと渡航できないという新たなハードルも追加されて、「え?ここまで待ったのにもうハンディクラフトフェスできひんのちゃうん?」と、日本に帰ってから一番落ち込みました。

協力隊を一足先に卒業している同期と、こっそりご飯やドライブしたのですが、それがどれほど支えになったことか。

そして、ここで仕事がなくなるとまた生活面でのストレスが増える(そしてただでさえ無い貯金が減る)ので、派遣会社と店長に2回目の一生のお願いをして、8月末まで延ばしてもらうことになりました。感謝永遠に。

 

7月

ここで一気に急展開。7月20日に1本目のワクチンを打てることになり、そして派遣も最短で8月下旬になりそう、というところまで見通しが立ってきたのです。頭がついていかず、とりあえず3か月ほぼほぼさぼった(たまーに受けた)オンラインレッスンの予約を入れて、お買い物リストを作り始めました(笑)

 

 

出国に向けてテンションあげて、また延期になったらしんどいしな~と暗い気持ちを引きずるなか、こうやって先輩隊員から刺激を貰えたことが救いになりました。

 

8月

9月11日のフライトに決まりました、との事務所からの連絡に「どうしよう!!準備ができてない!!」と焦りだす私。2本目のワクチンを打ち、敦賀方面に何度か釣行し、あ、花王と資生堂のPAYPAY祭やってる!!とあっては必需品を爆買いし・・・と、特筆すべきことのない1か月でした。

ただ、7月に引き続き、この月も先輩隊員に会える機会があり、

20日に退職してから、オンラインレッスンの予約をぱんぱんに詰め、この1年半の待機中全くやってこなかったリスニングとスピーキングを強化すべく、ひたすら先生と喋りまくる日々を過ごしました。

 

9月から

ラオスに来てからのことは、気持ちが溢れてしまってダイジェストでお送りできません。ブログとnoteに、その時その時思ったことを何らかのタイミングでまとめていますので、時系列にすべて貼り付けてみます!

 

www.laoko.net

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note.com

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任期を消費していくだけの首都待機もまた辛い日々でしたが、今はこうして任地に居て毎日活動できているので、やっぱりラオス戻ってきてよかった、戻ってこれてよかった、と心から思ってます。

 

そして今、ປີໃໝ່ສາກົນ(国際正月)の大晦日、思い出したかのように時折あがる花火の音を聞きながら、この記事を書いております。

 

活動のこと

さて、延長戦に入ってからの活動のことも少し触れておきたいと思います。

 

正直、未だ右肩上がりの感染拡大をみせるラオスのコロナ渦で、活動をどこまでやって大丈夫なのか探り探りだったこともあって、しばらくは思うように動けていませんでした。その後も、誰々が感染した・してないの情報に混乱したり、感染対策への意識や考え方の差を感じて単純に恐怖だったり、隔離施設に入ることを考えるとストレス感じることもあって、そういう時は「よし!無理せず家に帰ってできることをやろう」とその場を離れたりすることもありました。

 

ですが、やっぱり外に出て人と話すと楽しくて、新しい出会いや発見があって、ラオ語の勉強のモチベーションにもなって。そして、他の隊員が同じ状況下で頑張ってる様子をSNSで見て「私も負けてられん!」と、活動スイッチが入りました。

 

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郡内の生産グループでは、前回派遣時のクラッチバッグに引き続き、他の新商品開発や、すでにある商品のブラッシュアップを行っています。可愛い商品がいっぱいできてきたのに、これを売れる販路がないのが悔しい。国境あけるなら展示販売会や、イベント・お祭りのときのタラートナット(特設市みたいなもの)も再開してくれたっていいやん!と思う反面、生産者さん自身が店に立つので、それもまた感染リスクを高めるんだよなあと考えると控えてほしいなあと思ってしまいます。いやなもやもやだなあ。

 

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新たにODOP認証を受けた、バンビエンとルアンパバーンの間の山岳地帯にあるコーヒー農家さんは、とりあえず一度出張に行けるように企画書出して話をすすめながら、プロの視点から、コーヒーの感想や、栽培・加工の助言をもらえるように動いています。

 

また、隊員が派遣されている県内の紙布生産グループがODOP認証取得を受けられるように配属先と動きつつ、この村の和紙と、先に話した生産グループの竹編みの端材を再利用して何か作れないか、あれやこれや奮闘中・・・。

 

私が居る郡の周辺2郡にある食品関連の生産グループにも、新商品のアイデアやパッケージデザインの話をもっていけたらいいなーと思っていたらもう年が明けそうです。

 

それからこれは半分趣味なのですが、シンの縫製を2人の先生に習って、それを動画と資料にまとめて、どなたでも見ていただけるようにしてみようと思っています。今年中に1人目の先生から習い終えたところですが、難しくて頭が3回ほど爆ぜております。

 

私の任期は来年3月8日まで。その日には日本に居なければいけないので、フライトにもよりますが、実際に活動できるのは2月下旬までです。あと55日ぐらいですって、なんと恐ろしい。自分の能力の低さ、予定通りにいかない難しさ、おさまらないコロナの中、どこまでやれるか分からなくてちょっと焦ってますが、今やらなかったらもう一生やれないことだと思うので、あと1か月半全力で駆け抜けたいと思います。

 

最後に

この1年は本当に激動で、沈むとこまで沈んで、そのあとめちゃめちゃテンションあがって、感情の起伏が上にも下にもいけるとこまで行った1年間でした。今でも自分がここに居られることが信じられない時があるぐらいです。

 

いっそ隊員やめてやろうか、ラオス行くの諦めようかと何度も思った上半期の、しんどかったぶんのご褒美を、いま100倍返しで受け取っている気持ちで生活してます。こんな風に思えていることが本当に幸せですし、どこにも行けない(首都にも以前のように上京できない)からこそ任地にどっぷり浸かって今まで知らなかった任地を知れているのも事実なので、いまの状況に心から感謝して残りの任期を駆け抜けたいと思います。

 

このブログを読んでくださっている方、反応をくださる方も、いつもありがとうございます。とても励みになっております。自分がこの状況下でここに居ることは、もちろん活動のためでもありますが、ラオスが大好きなのにまだしばらくラオスに来れなさそうな方に、少しでも今のラオスをお届けできたらなあと思っています。来年も不定期で更新していきますので、引き続きご覧いただけますと幸いです。

 

ああ、花火がちょっとだけやかましくなってきた。もうすぐ2021年が終わるんだなあ。2022年はどんな年になるだろうか。任期を終えたらその先どんな生活が始まるんだろうか。あと15分、まっさらなスケジュール帳にやりたいことをいっぱい書きながら、2022年をスタートしたいと思います。

皆様も、よいお年をお迎えください。

 

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