さばいでぃー!
どうもこんにちは、ラオスのラオ子です。任地に到着して3日間の隔離・・・というところで前回のブログの更新をしましたが、ついに隔離を終えて、前に住んでいた家と同じ家に引越しました。
ああ、懐かしの我が家。そう、このピンクのベッドこそが、私の帰るべき場所。
じっくり街を歩いてみると、街の中は変わったり、変わらなかったり・・・正直に言うと、全体的に減ったもののほうが多くて、バイクもない、首都にも簡単にあがれない、という中でどうやって生きていこうかと思っているところです。
家をとるか、移動をとるか・・・
何で前回赴任したとき、このゲストハウスで1か月耐えられたんだろう・・・とふと考えたのですが、答えはひとつ、「こういうものなんだなあ・・・」と思っていたからです。あのころは、毎日市場までぶらぶら歩いて蒸したもち米を買い、炭火の焼き鳥屋台の前で串にかぶりつきながらもち米食べて帰る、という習慣ができていました。
しかし今回は事情が違います。屋台も出ておらず、加えて、ロックダウンで閉店・休業した店が多いので、食べ物を手に入れること自体が困難というなかなか危機的状況。3日間の隔離期間を含む5日間のゲストハウス滞在は、朝は食べない、隣の店でお昼を食べる、フライドポテトを持ち帰って夕方ぐらいにだらだらたべる、お腹がすいたら持ってきた非常食か市場で買ったもち米にふりかけをかけて食べる、という方法で乗り切りました。なかなか辛い5泊6日でした。
そんなわけで、バイクがあったころはさほど不便に感じていなかったけど、今戻ったら絶対に不便と分かっていてもなお、元の家に戻りました。おかげさまで配属先までは往復10キロ、いちばん深くかかわる生産者さんとは往復20キロ、あいだは結構なアップダウンが続く道となっており、物理的に山あり谷ありな任地です。相変わらず噛み応えがあるな、やれやれだぜ!!
正直なところ、家選びは自分の責任ですし、今いる家は配属先やJICAに強制されたわけではありません。生産者さんの居る村か配属先に近いところで新しく家を探せたらよかったのですが、そうするとまた家探し、申請、セキュリティチェックに数週間要することになります。私がいたゲストハウスは、セキュリティ面で不安があったうえに、ベッドとバスルームだけのものすごくシンプルなところで、机も湯わかしもない、しかも隣にある唯一のレストランも土日はクローズ、まわりでご飯食べれるようなところもほぼない・・・と、まさに「何があるというんですか」状態。これであと数週間耐えれる気がしなかったので、もう交通手段ぐらい何とかなれっ!!と、勢いで前の家に飛び込んだのであります。
もう一つの理由は、前いたときに使っていた家財道具で、買いなおすとそこそこ高いものがそのままになっていたので、それを使いたかった、ということ。日本に緊急帰国した数か月後、JICAのスタッフさんが荷物の引き上げに行ってくれたのですが、その時点で何がどこにあったかなんて全部忘れてしまっていたので、後になって「あ、あれ引き上げてもらうの忘れてたな・・・」「あ、これも残しといてほしかったな・・・」とぽつぽつ思い出して。
私が日本に帰っている間に一組別の国の人が住んだらしいので、それが無事そのままになっているかは、入居した時点では分かりませんでしたが、家に行ってみたら「あ~これ!これがほしかったのよ!!」というものが残っていて、家の中に見当たらなかったものも大家さんに聞いたら出てきて、結果ほぼ回収成功しました。
元セネガル隊員がうちまでハンドキャリーしてくれたティファールの28㎝のフライパン(大迷惑)に、ハリオのケトル、スケール、coiさんの大判タオル・・・ありがたいことに色々残っていて、私のQOLが良いかんじにぶち上がりました。感謝!!
ただ、間に住んだ人に電子レンジを壊されていたのはものすごく痛手・・・。どうやったらこんな簡素な作りの電子レンジ壊れるんだよ!!こんな短期間の契約じゃ新しいの買ってもらえないよ!!自分で買ってやろうか!!!(誰かとめて)
思い出の場所もある
さて、こんな「ぼーみーにゃん(何もない)」づくしの住環境ですが、家の近くで唯一誇れたのは、めちゃめちゃ美味しいカオピヤック屋さんがあることです。
そして最後はこれ。 市場の近くにあるフォーやさんのフォー。 しっかりダシの出た黄金色のスープがたまらなく美味しかった・・・! 良いお店を見つけられて大満足の週末でした。 家はちゃんと借りれたの? キッチンないのにどうやって生活してるの? と色々気遣ってくれる優しいおっちゃん。 「3か月の勉強でそんなにラオ語が話せるんだね! たくさん勉強したんでしょう。 ラオスでボランティアするために いっぱい勉強してくれてありがとう!」 と帰り際に言われて、帰り道ちょっとだけ泣いた3連休でした。
お腹壊した。でも人が恋しくて外に出た。 - ラオスのラオ子。
任地に戻って隔離があけたら、一番にここのカオピヤック屋さんに行くって心に決めてたんですよ。そして隔離があけ行ってみたら、休業。翌日も休業。時間をずらしてもう一度、休業・・・。
テーブルの上は綺麗なのになーと思いながら周りの家の方に聞いてみると、「最近やってないよ」と。あー、そうですか・・・私の思い出のカオピヤック屋さん・・・。やってないんだ・・・。
そして市場で鶏とアヒルの卵を買って帰宅途中、カオピヤック屋さんの門の奥にいるお兄さんと目が合いました。そう、あの、くしゃっとわらう笑顔が素敵な、世話焼きの、お兄さんと。お兄さんは半裸で、両手を胸にあててちょっと恥ずかしがりながら、わたしのほうへと近づいてきました。
兄:おー!しばらく見んかったなあ!
私:覚えてくれてるん??
兄:覚えてるよー!あれやろ?農業局で働いてた日本人・・・
私:そうそう!産業商業局やけどな!
兄:あーそれな、それな!でも何しに戻ってきたん?
仕事終わって日本帰ったって聞いたけど
私:誰に聞いたんや!終わってないよ、コロナで突然帰らなあかんくなって
兄:そうか、大変やったな~ こんどはいつまで居るんや?
私:1か月か、長くて3か月!1年半も待ったのに、首都で1か月半も動けんくてな~
兄:待ってる間ラオス恋しかったかー?
私:そらもう!!毎日ラオスのこと考えてたよ。あとこの店のカオピヤックもな
兄:おぉぉぉぉおおおお~~~い
そんなことないよ、普通のカオピヤックしか作れへん
私:いやいや、ここのカオピヤックが県内で一番おいしいやろ間違いなく
兄:アアァァッヒャアヒャァヒャァヒャァwwww恥ずかしいわー おーい恥ずかしいわ~~~
私:いや、服着てないのもだいぶ恥ずかしいから大丈夫やって。
兄:お~~アアァッヒャァヒャァヒャァヒャァヒャァヒャアアアア~~wwwww
(ほんとにこんな笑い方)
私:店あけへんの?
兄:店は来月からの予定やで。今モノ買いにいったり調味料作ったり、準備中や
私:そしたらまた来るわ。服着て作ってな。
兄:アアッァアァァアッヒャァヒャァヒャァヒャァwwwwwww着る着るゥ!!
よかった、来月から美味しいカオピヤック食べられるゥ!!!!!
ここ数日の活動のこと
さてさて、前置きはこのへんにして。2回目の活動の目標をどこに設定して、どう活動していこうか、配属先のカウンターパートと一緒に作戦会議しました。
日本で待機していた1年半の間とラオスに来てからの隔離期間中、ラオス語のマンツーレッスンを受けていました。間違いなくそのおかげなんですが、前よりも聞きたいことが聞けて、伝えたいことも伝えられて、自分の成長をちょっとだけ噛み締めました。とはいえまだまだ語彙力の引き出しも中身も足りていないので、踏み込んだ話をした瞬間に頭がぱっぱらぱーになってしまいました。悔しいです。一度分からなくなったらそこから先すべてがわからなくなる不治の病にかかってるんですけど、これどうやったら治療できるんでしょうかね。毎日少しずつでも勉強する、分からない単語はちゃんと聞いてあとから調べる、と、自分より後の隊次の隊員さんにえらそうに言ったので、まずは自分がちゃんとやらないとダメですね。
というわけで、まず最初に話したのは、この状況下で、活動範囲をどれぐらいに設定するかということ。前回赴任時に何度も訪問していた村がレッドゾーンに指定されて行けなくなっていたり、その最新情報を私が持っていなかったりで、計画に赤が入ることもしばしば。こっちは行けるけどこっちは無理とか、近いけどまだ行ってないよね?っていう生産者さんを視野に入れてみたりとか、安全に活動できて、かつ何かで手伝えることがありそうな場所を探して、なんとか柔軟にやってみようぜ、という姿勢。
また、活動内容についても、今の状況が続くと想定して国内外向けに行動していくのか、観光が戻ってきたときのために準備するのかとか、どこに焦点をあててマーケティングするのがいいかあれこれ話し合い・・・色々決まったことを活動計画に反映させて・・・あとはこの活動計画をラオ語にして配属先に共有して、というところまでやって、ようやく本題に入っていけそうな感じです。
前に赴任していたときは、先輩たちが楽しそうに掛け算の活動をしているのを見ていて、職種も隊次も関係なく、やろう!いいね!ってわいわい取り組める人と何かすることで活動が加速度的にぶち上がっていくのっていいなあと思っていました。今回はそういう活動は現実的に厳しいところがあって、なかなか実現には至らないと思うのですが、だからといってそれが目的になってしまうのもまた違うよなあ、と思ったり。目標がたまたま同じ方向にあったとか、誰かの力を借りたら成し遂げられそうだったとか、活動の中でそういうものが見えてきたときに「ここ!!」というタイミングでやれるのが理想なのかなとか。
どちらにしても今回は、物理的な往来を積極的に増やすタイミングではないので、任地にどっぷりたっぷり浸かります。ビエンチャン県というところに、もう無理知り尽くした!!っていうぐらいびたびたに浸かります。
ないないって文句ばっかり冒頭で言った人のセリフとは思えないかもしれませんが、こんな時だからこそ楽しめるラオスが目の前に広がっていて、毎日いろんなことにワクワクしながら過ごせているので、この感じで毎日過ごせたらなと思っています。活動についても日常についても、不定期で更新していきますので、引き続きお読みいただけると嬉しいです!
では今日はこのへんで。ぽっぷかんまーい!(またお会いしましょう)