ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽と、あたたかな手仕事と。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。一時退避中につきラオ語講座絶賛開催中です。

宇宙よりも遠い場所

さばいでぃー!

 

みなさん、こんにちは。この感じで文章書くのが久しぶりすぎてちょっと照れてます、そして久しぶりすぎて私のことをお忘れの方もいらっしゃると思うのであらためて、2018年度3次隊(ラオス/コミュニティ開発)のラオ子です。

 

 

今日は、ちょっと赤裸々めに書きます。うじうじ、めそめそしたことも書きます。そういうのが見たくない方はここでそっと閉じるボタンを押して幸せに生きていってください。

 

8か月間ずっとぴえんしていました。

 

このブログで最後にラオ語読み書き講座を更新したのが、なんとなんと170日以上前という事実に白目を剥いてます。あのころのnoteやはてなブログの下書きを見て、自分でこんなことを公言してしまうのはどうかと思うんですが、相当に沈んでいたと思います。

 

退避当初は、まだ気持ちは任国に置いてきたままみたいになっていて、日本に居る自分を受け入れられていないというか、理解できていないというか、ちょっとしたプチ帰国みたいな気持ちでいました。そこから時間が経つにつれて、ことあるごとに、ちっちゃい波のように「帰りたい」という気持ちが押し寄せてくるようになりました。

 

私は帰国後、滋賀の実家に戻りました。もし何かあったらすぐに実家を特定されるような場所では、家から出て気晴らしをすることも、誰かに会って話をすることもできません。スマホの狭い世界のなかで、世界中の状況がどんどん悪化していく様子を他人事のように眺めるだけの日々、自分が日本に帰ってきた実感もうまく持てないまま、つまり現実を受け止められていないまま過ごしていると、帰国後すぐのうちは細切れに消化できていた気持ちが、溜まって溜まって、ふとした瞬間に爆発するのです。

 

皆さんは、マンゴーのタルトを口に含んだだけで泣き出すアラサーを見た事ありますか?四谷怪談級のおぞましい光景だと思うんですけど、これは紛れもない実話であり、そして他の誰でもない、私のことです。私の中のキャパは、表面張力でぎりぎり頑張っているコップにいっぱいの水のような、もうこれ以上吸いきれん!!ってぐらいにお出汁を吸ったひたひたのおあげさんのような、そんな感じでした。ちょっとでも何かしらの刺激が加わったらもう終わり。季節が変わったのを感じるだけで、お寺の仏旗を見るだけで、スケジュール帳に書かれた叶うことのない予定を見るだけで、心がぐらぐらになります。生産者さんや配属先の人たちとやりとりするたびに、恋しいよ、早く帰ってきて、って言ってくれるんですが、そのメッセージを見るだけで、1日中うなだれていたような日もありました。

 

 

そんなこともありまして、たまたま連絡とりあった、こちらの温度感が伝わっていない人に「まー、もう帰れないでしょ!」というような内容のことや、あんなことこんなことを言われるたびに、落ちて落ちてしかたがない毎日でした。いや、もしかしたら現在進行形かもしれん。

 

本人に何の悪気もないことぐらい分かっているんですが、「協力隊のこととか、私の心境とか何も知らへんくせに、外野でもないぐらいの外側からやいやいうるさいわ!分かってくれんでええからそっとしといてえや!!」って吠えたくなる言葉にもたくさんぶつかりました。「ラオス近いし、また数年したら行けるようになるよ」って言葉ですら、だめなときがありました。私は、隊員として、ラオスに、戻りたいんだよね。って心の中で思いながら、「せやな。」って言うだけ。たいした大きさでもないはずの棘が胸に刺さっていつまでも抜けず、じゅくじゅくに膿んでいく感じがします。きっと私を嫌な気持ちにさせるつもりで言ったんじゃないって分かってても、悪意も他意もないんだからと思っても、それでも被害者で居たい自分の余裕のなさにまた苛立ったりもしました。

 

つまり私は、ガソリンよりもよく引火し、黄リンよりも低い温度で発火し、そして山本元柳斎重國の斬魄刀ぐらいの威力を持った、大変扱いづらい危険物と成り果てております。直接噛みついて何かいうような体力は無く、この人に分かってもらいたい!というパワーもなく、「ああ、さようなら。」と心の中で閉店ガラガラして、その扉の内側でグレート・ムタばりの毒霧を吐いて自滅してしまったのです。

  

 

そうだ!こんな気持ちこそアウトプットしよう!!と思ったこともありますが、何を書いても最後には「ラオス帰りたい」ってじめじめした文章になってしまって、その下書きを読み直すのもまたしんどくて、それでnoteやブログみたいに書くのに体力つかうコンテンツからもついつい遠ざかっていました。(読み書き講座できてないのは単純にわたしのやる気がぷつんと途切れてしまったからです。陳謝。)

 

「やりたいこと」が、日を追うごとに「やりたかったこと」「できなかったこと」に変わり、未消化のまま自分の中に溜まっていくのって、こんなに辛いことなんだなって、今回初めて知りました。何もすすんでいないし、何もできていないのに、隊員としての時間だけが毎日確実に減っていく感覚。資料づくりで活動写真見返しただけで涙が出てしまうぐらい、亡きじいちゃんの最後の1本の歯に負けないぐらいぐらぐらになった自分には、あまりにも辛い日々です。日本に帰ってきてすぐは、ご飯も美味しいし、朝いちの虫履き(掃き掃除)もいらないし、毎日あったかいお風呂に入れるし、そこそこテンションあがっていたはずだったのに、それがだんだん当たり前になるにつれて、自分の中で処理しきれていない気持ちに気づいてしまったんですよね。

 

つまり、分かりやすく言うと、私はラオスから帰ってきた現実を受け止めて、相当”ぴえん”してしまったのです。

 

3つの道

 

さて、そんななか、7月はじめに、協力隊員は大きな選択をしなけらばなりませんでした。わたしたちに用意された選択肢は次の3つ。 

 

①待機延長

国内でも協力隊として活動する、というスタンス。任期は変わらず、日本で待機した分だけ現地で活動できる日数が減る。日本国内では、自己研鑽、国内での社会貢献活動、任国・任地に向けての活動に取り組む。

 

②特別登録

一旦合意書を解除するかわりに、残り任期が減らないまま待機することができる。3年のあいだに渡航再開されたら、本人の都合を考慮しつつ派遣時期を決めて、活動を再開する。

 

③辞退

読んで字のごとく。

 

というわけで、わたしはこの中で迷うことなく①待機延長を選択して、7月から11月までは割と腹をくくって活動に専念しました。

 

まず一つ目の『自己研鑽』は、ずばり語学の勉強。JICAが提供してくれているマンツーマンのオンライン語学レッスンをひたすら受けまくります。最初は用意されたテキストに沿ってやっていたのですが、最近は配属先に向けた活動報告書の作成を手伝ってもらっていて、自分が書いた文章に対してネイティブチェックと解説をひたすらしてもらっています。これが本当にありがたい。ライティングってめちゃめちゃ大切だけど、答え合わせをしてもらえる機会ってそう多くありません。だから、誰が読むねんっていうぐらいのボリュームの超大作を完全自己満足で書いて、チェックしてもらって、また書いて、またチェックして・・・ってずっと繰り返して、ラオ語のライティングの勉強中です。先生いつもありがとうございます。

 

なお他の言語ですが、英語は1日30分のオンライン授業を受けていて、先生に「愛嬌とボディーランゲージはパーフェクトだけど語彙がまじでヤバい」と言われて凹んでやめました。タイ語とカンボジア語は、いつかできるようになることを夢見て積読中。東南アジアを攻める姿勢。

 

2つ目の『国内での活動』ですが、行政が用意している多言語対応の生活相談窓口の普及活動をはじめ、定額給付金・各種助成金の案内や申請補助、近隣の外国人経営の店舗の巡回などを行っています。

www.youtube.com

って文字で書くよりこちらを見ていただいたほうが早いので。誰よりもカタコトのニホンゴで話す私をご覧ください・・・。

 

そして3つ目の『任国へ向けての活動』は、ずばり10月に大阪府堺市で行った『”ら”おす ”お”おさか ”す”っきゃねん展』です。この名前つけてくれた19-3次隊のDさん天才やと思ってます。この話は長くなるので、またいつか別の機会に書きたいと思います。否、書けたら書くわ。(ホンマか?)

 

2度目の選択

そしてこの11月、また同じような選択をしなければなりませんでした。7月と状況が違ったのは、私の任期がそろそろ終わりそうだということです。

 

①の待機延長のままにしたとすると、もしも派遣再開してラオスに戻れたとしても1月末にはまた日本に帰らなければなりません。現地での隔離や、もとの生活を送るための基盤を作ったころには、任期満了です。

 

②の特別登録に移行すると、配属先との相談のもと任期を少し伸ばすことができます。ただ、いつ帰れるか分からないという状況のなか待ち続けることは精神的にも経済的にも不安です。

 

特別登録に移行しても、ぜったいに行けるとは限らない。自分のなかでのリミットは来年中だから、それはブレずにけじめをつけたい。

 

最終的に私は、悩みに悩んだ末、②の特別登録を選びました。1日でも長く任地に居られる方法があるのならば、それまで日本でできることをやって、自分のなかでできるだけ良い終わり方をしたい。そのためにやれることを、日本での待期期間も含めて、やれるだけやりたい。そう思って、向こうに戻ったらやりたいことを書けるだけ書き尽くしたころ、万年筆のカートリッジが1本空になって、その勢いでアンケートフォームの登録ボタンを押しました。それからしばらく寝れませんでしたが、悩んで悩んで自分で答えを出したことだし、他の誰でもない自分のために決めたことなので、やり切って、楽しみ切って、次につながる何かを見つけたいと思います。

 

 

進学や就職で進んだ隊員のみんなを見ていると、自分がこのままで居ていいのか不安になるときもありますし、待機延長を選んでけじめをつけ、次にやることを決めている日隊員のことも本当にかっこいいと思います。でも、この選択肢はどれが正解でどれが間違いということではなく、いつ戻れるかわからない状況で待機延長を選んで、日々やれることをやるのも、特別登録や辞退を選んで、できることの幅を広げるにしても、とにかく、それが自分にとっての間違いや後悔にならないようにやっていくことが大切で、みんなそうしてどれかを選んだんじゃないかと思ってます。だからたまに連絡とりあって近況を聞くたびに、面白いし、尊敬できるし、元気ももらえるし。これからもまだまだよろしくね。

 

そんなわけで、私も一旦協力隊員ではなくなりますが、任地に戻り、ゴールできた報告をここでできる日まで、このブログとnoteもぼちぼち再開していこうと思います。引き続き、よろしくおねがいいたします。

 

ちなみに

このブログのタイトルですが、アマプラで見て大号泣したアニメのタイトルからそのままいただきました。高校生が南極に行く話です。ぜひご覧ください。