ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽と、あたたかな手仕事と。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。一時退避中につきラオ語講座絶賛開催中です。

ときに「異文化理解」という言葉は凶器となる?

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

旧正月に向けてお仕事モードからゆるゆると正月モードに入ったラオスは、新年を迎えると同時にブチ上がり、都会も田舎も関係なくそこかしこが爆音&ダンス&水かけ祭の会場と化しました。そして三が日が開けると、しーん・・・として街全体がお休みモードになり、この週末が明けたらいつものラオスに戻り始める・・・のかな?という感じです。

 

いつもラオス最高ー!ラオス楽しいー!という話ばかりしているので、たまには趣向を変えて、今までで一番悩み、落ち込んだことを、色々やんわりぼかしながら書いていきたいと思います。

 

 

ラオ子は酒が飲めない

 

本題の前に。前提条件として、私は酒が飲めません。もともと弱い体質なのだと思います。飲んだらすぐに頭が痛くなり、眠気に襲われ、そこで寝てしまうと夜中にとつぜん吐き気に襲われます。寝なかったら、ひたすら笑うか泣くかを繰り返すらしく、人としての尊厳を失い、まわりに迷惑をかけます。飲み会も全く好きではありません、安い席はご飯美味しくないしうるさいし、そうでなくても煙草くさい。それで、安くても3000円、多いと5000円、ポンと飛んでしまう。3000円あったらスイーツセットのハシゴ行けるし、5000円あるならファイブスターのランチかデザートバイキングにでも行きたい。

あ、味が好きだから辛いと思うときもあります。友人や彼氏とベルギービールウィークエンドに行っても、私だけ貰ったコインのほとんどを割高なツマミに費やする。みんなは色んなビールを楽しんでいるのに、私は一口飲んで限界を迎えたところでビールをあげてひたすらフレンチフライを食べる。食べ終わった後物足りなくて、ほろ酔いの友人たちをステラおばさんのクッキー食べ放題の店に連行する。(理解のある友人たちで本当に助かる)

小さいころ、じいちゃんが石油ストーブで酒粕を焼いておやつがわりに食べていたのをつまんでたから酒粕の味は好きだけど、未だにちょっと食べたら顔が真っ赤になって目がちかちか。日本酒やワインの味は好きだし、料理に合わせたら美味しいのも分かっているけど、たくさんは飲めない。夏フェスで背伸びしてビール買ってみても、にわか雨が降ったらコップから薄くなったビールがコップのふちから溢れてくる。ワイナリーで試飲させてもらったら、その後ワインを買ったことを覚えていない。オールで飲んだ帰りにセブンで烏龍茶6リットル買って帰ったことも覚えていない。

 

1本、2本とビールをがぶがぶ飲める人が心底うらやましい。きっとラオスも、カンボジアと同じようにお酒飲め飲め文化なんだろう。カンボジアでは逃げ続けていたけど、今回は最後のチャンスだと思って、その文化に揉まれて、私もお酒が飲めるようになって日本に帰ろう!!!

 

・・・って思っていたのですが、そもそも本当にそう思っているならカンボジアに2年住んだ時点で出来ているわけで。さっそくラオスでもその壁にぶち当たることになりました。

 

ちなみに、この写真のときも、ちびちび、ちびちびと飲んで、半分でギブアップ。でもこの時は「青春ごっこ」の名のもとにメコン川の向こうのタイの灯りを肴に訓練生活を語ることが目的だったので、雰囲気が味わえればそれでよいのです・・・。

 

ラオスの「キンビア」って何

「キン(食べる)ビア(ビール)」でキンビア、つまりビールを飲むこと、飲み会、のこと。

 

ラオスのキンビアは、本当にすさまじい。

 

始まったが最後、というか、終わらない。いつになったら終わるんだろう??と聞きたくなるぐらい、終わらないんです。それはもう、田舎も都会も関係ありません。何かのセレモニーの後、黄色いケースがドンと積まれたかと思うと、中のビール瓶が次々空になっていく。いつ休んでるの?と言いたくなるぐらい、飲み続ける。爆音で音楽を鳴らし、会話にならない会話をしながら、ひたすら飲み続ける。

 

ピーマイ(旧正月)などの行事になるとそれがエスカレートし、夕方になると「え、これ、何人で空けたんですか・・・?」と聞きたくなる量のビール瓶が転がっている。それでもペースが落ちない。

 

そしてだいたいのキンビアで、盛り上がるにつれて「イッキ」コールが始まり、激化していきます。・・・・悪夢が、始まって、しまうのです。

 

おもてなし文化の温かさの裏側に

先に誤解の無いように言っておきますと、私はこの記事を通じて「ラオ人はアルハラだ!」とか、「ラオ人との飲み会には気を付けろ!」とか、そういう事が言いたいわけではありません。(いや、実際、私のように体質的に飲めない人は本当に気を付けたほうがいいかもしれませんが・・笑)

ラオ人にはラオ人の楽しみ方があります。キンビアして、ラオミュージック&タイミュージックをかけて皆で踊って、辛い物、美味しい物いっぱい食べて、いっぱい話していっぱい笑って。すごく楽しそうなのです。シラフの私には入れない話のループができあがって、途中からずっと同じ話をして笑ってます。たぶんこのあたりは日本でも同じです。

 

そしてもちろん、ありがたいことに、同席する私にもお酒が振舞われます。ラオスの温かいおもてなし文化。「これは今朝うちで採れた野菜で作ったのよ!美味しいからいっぱい食べて!」「これは〇〇出身の私の義母が作ったの!食べてみて!!」と、お母さんたちは、おかずや、焼き立て・揚げたてのお肉や魚をたくさんすすめてくれます。どれも美味しい。「日本人でも食べれる?」と聞かれ「美味しいよ!」と答えると、「もっと食べてくれていいからね!!」と笑顔で返してくれます。これがまた本当に美味しい。最近は、ローカルレストランには並ばない「家庭の味」というものに魅力を感じています。だから、こういう場所に混ぜてもらえると、色々食べられて嬉しい。この暑さの中、ちょっとだけ飲むビアラオも、美味しいです。ビアラオは今まで飲んだビールの中で一番飲みやすい。苦くないし、つんとしないし。氷たくさん入れてキンキンに冷やした薄いビアラオでいいんです。ちびちび、ちびちび飲みたい。

 

しかし、「イッキ」が始まると、そういったものを楽しむ余裕がなくなります。

 

「ラオ子!イッキ!」

「ごめん、飲めないの。お酒弱いし、体調悪くて。」

「なんで!イッキ!」

「いやいや、ほんとに飲めないから。ごめん、ほんとに飲めないの。」

「じゃあ、半分!」

「いや、ほんとに無理だって。体調悪いんだって。」

「なんで!半分!半分!」

「できない、できない。ごめんね。」

「じゃあコップの柄のとこまで!第一関節分!!」

 

ずっとこのループが続きます。一人が何度も来ます。そして酔っ払いは大勢居ます。みんなと順番にこのやりとりをすることになり、2巡目がまわってきて、3巡目、4巡目・・・。断るのが苦手な日本人。私もできれば、断りたくありません。でも、飲めないものは、飲めない。体が受け付けないと言っている。1杯飲んで済むものではないのも、分かっている。「ちょっとだけ」が通用しないのも、もう、わかっている。(来てすぐに潰れるまで飲んでます・・・。氷入りで、コップ3杯。)

 

コップにしばらく口を付けて、飲まずにテーブルの上に置いても、横目でそれを見ていて、また「飲んでない!イッキ!」が始まります。 

 

そしてエスカレートしていくと、肩を組んでの飲ませ合いや、口にビンやコップをつっこんで無理やり飲ませるなんて光景も。本当に、すごい。それでも楽しく飲み続けるラオ人のキンビア、すさまじい。「ちょっとだけ」がききません。こちらがコップ一杯でやめたいと思っても関係なし。うまく断る術もなければ、強く断るメンタルも無い私は、まったく飲まずに場をシラけさせることに耐えるか、言われるがままに飲み続けるかの2択です。

 

私にとどめを刺した一言

活動先から帰る途中、レストランで顔見知りに来い来いと手を引かれて座ったキンビアの席。最初はわいわいやっていたのですが、どんどん「飲め飲め」が激しくなり、威圧的に、怒鳴るように言われても、コップを口に無理やりつけられても、水を飲んでいたコップの中身を捨てられてビールを注がれても、私はかたくなに断り続けました。ずっと飲んでいる薬との相性が良くないので、飲まないように日本の医者から言われている、だからお酒は殆ど飲んだことが無いし、弱いし、翌日の活動に響くから、とも言いました。

 

そして言われた、辛~~~~い一言。

 

「ラオスに住んでおきながら、ラオスの文化を理解しようともしないのか。」

 

「ラオ子が酒を飲まないから私たちは全然楽しくない」 

 

この言葉に、それまで頑なに断り続けたことや、自分が飲めないことでみんなの雰囲気をつまらなくしていないかと葛藤したこと、それを案じて1度無理やり飲んでみたけどすぐダメになったこと、翌日活動先でも気分悪くて1日ポンコツになったこと、それでも「もっと飲んだら強くなるから!」と言われて「飲めない体質だとは誰も理解してくれないんだな・・・」とストレスになっていた事などが、自分の中で溢れ返ってきました。溜めに溜めていた心のダムが決壊してしまったような気持ちになり、そして何も言えなくなり、黙り続けました。その後私は、皆が違う事に気をとられているうちに、すぅぅぅーーーーっっっっっ・・・とフェードアウトするように帰ったのでした。

 

― きっとあの人は私に言った事なんて覚えていないだろう。覚えていても、悪気もなかったかもしれない。いや、いっそ、いやがらせしようとして言ってもらったほうが、もう近づかなくていいからマシだ。でも、どっちにしても、どこの国の人とか関係なく、こんなこと言われたら辛い。

 

―でも今まで蓄積されていたものが今ちょっとダメになっただけで、全部あの人が悪いわけではない。失礼だし謝ったほうがいいのかな。 せっかく混ぜてくれたのに申し訳なかったな。とはいってもあの「飲め」の言い方は怖かったし、戻りたくはないな。

 

帰る途中、色んな気持ちが頭の中をかけめぐります。

 

ー なんで私はお酒が飲めないんだろう。それがそもそもいけないのか。私がお酒飲めたらこんな気持ちにならなかったのか。じゃあ飲んでやろう。飲めるようになるまで毎晩飲んでやろう。ドチクショー!

 

悔しさをどうにかする方法が分からなくなった私は、「じゃあ飲めるようになったるわ!!ヤケクソや!!」という、いたって短絡的な思考のもと、アルコール度数4.5%のアップルサイダーを買い、半べそかきながら家に帰ったのでした。

 

「異文化体験」は選べない?

ラオスに派遣が決まってから、ラオスを知らなかった私はたくさんの事を学ぼうとしました。ラオスの本を読んで、絶版しているものは図書館をはしごして探して。初めてラオ語を見たときは「なんだこれは、本当に文字なのか。」そう思いながら2か月半でラオ語の読み書きを覚え、皆に比べれば語彙も表現も少ないけれど現地に来てからも毎日勉強しました。同期隊員に比べたらまだまだ努力も語彙も足りないけれど、近づきたくて必死でした。

任地では毎日いろんな産地の巻きスカートを履いて働いて。日本では食べないものだって憶することなく食べたり飲んだり。そんな風に、私は、自分の中にある「ラオスを知りたい」という気持ちに正直に、文化に溶け込もうとしてきたつもりでした。

 

―でも目の前の人を不快な気持ちにしてしまった。溶け込もうとする姿勢があったら出来ないことがあっても相手にも理解してもらえるというのは私の勝手な思い込みだ。自分が興味あることだけを選択的に体験して分かった気になっていても、結局相手のコミュニティに溶け込む力がなかったら、理解してないのと同じことなのかも。

 

―そもそも私がカンボジアで2年楽しく過ごせたのは、他の日本人が社内外問わず築いてきた関係に便乗していたからで、そこには自分自身でいちから作った関係なんか無かったし、それを勘違いして驕っていた自分が恥ずかしい。

 

と、キンビアを断って言われた一言で色々考え始めたら、止まらなくなってしまって。

 

その後は、家や飲み会に誘ってもらっても、「ごめんね、体調が悪くて。」「今からテレビ電話で他の国の隊員と会議やから・・・。」と、せっかくのお誘いを受けても逃げるようになってしまいました。特に職場の人の場合、関係を崩したくないこともあり、断りまくるようになってしまいました。

 

そして、お正月目前になってもうまく整理できず、「うちでパーティーやるけど来る?」「家族で滝に遊びに行くけど一緒にどう?」「子どもたちが一緒に水遊びしたいって!」と、活動先のいろんな人が声を掛けてくれたにも関わらず、その先にキンビアがあるかと思うと怖くなり、家族の楽しい時間に水を差してしまうのではないかという気持ちも強まって、「ごめん、首都で隊員と遊ぶんだ!」と断っている自分が居ました。

 

水遊びしたかったな。お正月どんなご飯食べるのか気になるな。綺麗な滝も見に行きたかったな。雨ごいのロケット祭も、本当に、本当に行きたかった。でも、自分がやりたいと思ったことだけやるのは、アカンのかな。キンビアもできないと無理なんかな。首都行ってもやることないな、隊員誰か暇かな・・・。

 

自分から選んだ場所なのに、自分から人と関わることから遠ざかってる。日本では「ノミュニケーションなんて必要ない」と強く思っていたけど、こっちでは日本に居る以上に、「楽しい時間を一緒に過ごして親睦を深めるため」のツールとして必要なものかもしれない。

うまく躱す術も、アルコール耐性も身に付かず、ただただ相手の好意を無下にして自分のわがままを押し通そうとしている。こんなんじゃだめなのにな。どうしよう。どうしたらいいんやろう。

 

と、うじうじ、うじうじうじうじ、悩んだ結果、実際これで任地の家に籠って寝正月したらいよいよ本当に取り返しがつかないぐらい落ち込みそうだったので、何もプランを立てずにとりあえず上京する事に決めて、事務手続きをしたのでした。

 

そしてどうにもならないこの気持ちを誰かに聞いてほしくて、連絡を取ったり、インスタでみんなに意見を聞いてみたり、ここでやっと人に話を聞いてもらうという行動が取れたのでした。あの時悩んでいた私に温かい言葉をかけてくれたみんな、本当にありがとう・・・。

 

この件で学んだこと

キンビアに悩みはじめたのは3月初めの赴任後すぐですが、本当にダメになったのは4月に入ったぐらいのことでした。1か月半の自分の行動とキンビアとの関わり方を振り返って、いくつか気が付いたことがあります。

もちろん、分かってくれる人も居る

この件があった数日後の、職場の「ブンピーマイ(旧正月祭)」が私には苦痛で仕方ありませんでした。8歳の友達以外、全員敵だと思って臨む予定でした。(友達にも「どうしてラオ子はキンビアしないの?大人でしょ?」って言われたけど・・・。)

 

バーシーには行きたい。でも、みんなが1年で1番楽しいときに、自分がお酒を頑なに断ることで「楽しくない」と思わせたらどうしよう。でも飲めないし、飲み会は昼から夜までずっとだし、憂鬱だ・・・と思っていました。

 

しかし、バーシーの準備中にオカンたちと色々話をしているとき、自分が本当にお酒を飲めないと悩みを打ち明けると、「じゃあこの後のキンビアは私たちのテーブルに来なさい!」「水だけ飲んでればいいから!」と言ってくれて、実際その後の飲み会でオカンたちからお酒をすすめられることはありませんでした。もちろん、他の席から乾杯しにきた人たちにはすすめられましたが、この席の人たちは私が飲めなくても良いと思ってくれている、と逃げ場がひとつあるだけで、私の気持ちはずいぶん楽になりました。それに、手首を見たら皆からお願い事をしてもらったたくさんの糸。私の幸せを願ってくれる人が居ることを思い出してあったかい気持ちで乗り越えられました。

 

酔っ払いは万国共通

 

「ラオスのキンビア文化怖い・・・」と、あやうく一括りにしてしまうところでした。先週この内容を更新していたら、おそらくこの記事も「ラオスのキンビア文化なんて滅びろ!」というキャッチーなタイトルになっていたかと思います。

でも、よくよく考えたら日本人だって欧米人だって関係なく、酩酊した人とはまともに話は出来ません。日本だって、飲めなくても楽しめる席もあれば、そうでない場所もあり、年末年始なんて駅周辺吐しゃ物まみれで、その上に寝っ転がっている人も。そもそもお酒の強要をする人がいなければ「アルハラ」なんて言葉は生まれていないはず。

「酔っ払い」にまともに話して分かってもらおうとしていたのが間違いだったんだと思います。そして、飲めないなら飲めないで、(いろいろな機会や広がりを逃すことはあったとしても)飲み会自体断ったって活動に支障が出るわけではないので、飲まされること自体が苦痛なのに交流をはかりたいという使命感で積極的に飛び込んでいく場所ではなかったかなと。実際、子どもたちと遊んだり、おばあちゃんたちと話しているほうが、100倍楽しい。そして、国籍関係なく、べろべろに酔った人、酔って他人に迷惑をかける人が、本当に苦手です。(私もたくさん飲んだらもれなくそうなります。)

 

来月には必ずぶつかる課題だった

私は活動上、バイクの使用を許可されている隊員です。来週には3回目の教習と試験、来月にはタイカブが届きます。そうなると、今までのように配属先の人たちの送り迎えではなく、バイクでの活動が多くなります。

飲酒運転はもちろんできません。現地の人たちにはそれを言っても「関係ないよ」と言われるかもしれませんが、私は下戸だし、「公人」です。バイクを運転するなら酒は飲まない。法律が、JICAがそういっているなら、私はそれに従います。

よって酒は飲みません。コップを無理やり口につけられても、楽しくない・文化を理解する気が無い、と言われても、だめなものはだめ。無理なものは無理。そう強く言い続けるしかありません。バイクに乗っている時は、何を言われても公人としての義務を果たすべきです。

それに、酔ったらすぐ寝るか、楽しくなって記憶がどこかに行ってしまうような人間が、「外国人女性」として見られる場所で酩酊すること自体が、安全上よろしくなさすぎます。そう、私は、外国人なのです。そしてここは途上国。急性アルコール中毒になったり、酩酊して怪我したりしても、救急車を呼んでもらえるかわからないし、病院に行っても日本と同じような治療を受けられるとも限りません。自分の身は自分で守る。ひとりで任地に住んでいる隊員として大切な大前提を、あやうく忘れるところでした。

 

相談することは大切

キンビアのことを相談した他の国の隊員から「自分も同じ状況」と教えてもらって、私の気持ちはずいぶん軽くなりました。また、「お酒以外のラオス文化に博識となり、積極的に披露する」「任務で信頼を得る」といった、自分自身の努力が足りないこと、「ラオ子という人間を理解してもらうのは時間がかかる」という大先輩からの言葉に、背筋が伸びたのも事実でした。

言葉を覚えて自分の気持ちを一方的に伝えられるようになることと、本質的に分かってもらうのとは全く別のことで、それを考えずに「何で分かってくれないんだよ」とヤケのようになっていたことには、大反省会(キンビア無し)です。

 

見習いたい”共感力”の高さ

正直、「隣の国に2年居たし大丈夫~」って余裕ぶっこいていたので、彼の一言でここまで落ち込むとは当人も思っていませんでした。ですが、私がインスタで白旗を振ったとき、そこにコメントをしてくれた人も、直接連絡をくれた人も、どちらも私のなかに鉛のように溜まっていたものをすっと溶かしてくれました。私はそんな風に人の力になれているだろうかと考えると、足元にも及ばないなと。

青年海外協力隊という同じ括りの中で活動している人、数年、数十年かけてコミュニティの中に溶け込んだ人、色んな人が居て、いろんな方面から話を聞いてくれて、いろんなアドバイスをくれて。みんなきっと、多かれ少なかれ、活動自体にも、インフラにも、「お金ちょうだい問題」、「シノワ問題」などにも、国や地域によって違いはあるにせよ今まで感じたことのなかったストレスを抱えて活動しているわけで。自分で選んで飛び込んだ世界だとしても、どうにもならないぐらい辛くなるときは当然あると思います。そういう時に自分も「ラオ子~!話きいてくれ~!」って思ってもらえるような人になりたいです。

 

自分も無意識にやってしまっていないだろうか

カンボジア人、トルコ人、スコットランド人。今まで私の家に遊びに来た人たちです。そして、日本国内で「大人数の日本人の中に外国人が一人もしくは数人」というコミュニティにも居合わせたことも何度もあります。英会話カフェ、ゲストハウス、職場、などなど・・・。その中で、相手が出来ないことを「文化だから」と無理やりやらせていたことがもしあったら、と、考えました。こちらは楽しんでほしくて精いっぱいもてなしているつもりでも、相手からしたらやりたくない事で、文化だと言われるから無理に合わせていただけ、なんてことがあったら・・・、どっちも得しません。無意識に、悪意なくやってしまうことほど相手を傷つけることはない。自分もこれから気を付けようと思いました。

それから、「文化」という大きな概念を理解する前に、目の前に居る相手を理解する必要があるし、それは自分がマジョリティでもマイノリティでも関係ないのかもしれない、という事を、今まであまり考えたことがなかったなと。目の前で起きたことがその「文化」のすべてではないことが大前提、捉え方も表現も伝え方も何もかもが人それぞれで、自分が経験した事だけで100を理解した気持ちになるのは本当に危険。実際に同じラオスの他の隊員からは「そんなに強要する人も居るんだ」と驚かれましたし、「あるある。辛いよね。」という言葉をくれた人もいます。集団の中の一人であることに変わりは無いとしても、それがすべてに当てはまると考えてしまうことは避けたいです。

 

発信するという行為に対する責任

これはカンボジアから帰って小学校、高校、大学と色々なところで講演させてもらったときにも思ったことですが、自分が「これがラオスの文化」だと捉えて発信することで、ラオスの間違ったイメージを与えることにも繋がってしまう危険性があるんだということを忘れてはいけないなと。

特に、今私は「青年海外協力隊」として「ラオス」で活動している人間です。その「ラオ子」が、ブログやSNSで発信することで、国際協力に興味がある人の手助けになったり、ラオスに来たい人の情報源になれば嬉しいし、自分がどっぷり漬かっているラオスという異国の面白さ、すばらしさを伝えていけたらという思いで書いています。しかし、私という一人の人間のバイアスがかかることで、捻じ曲げて発信してしまうという危険性があることを十分に考えて発信していく必要があります。

 

「したい」と「させられる」

まとまらないまとめです。

その後の首都滞在で、同期隊員と一緒に、路地裏にテントをたててキンビアしていたおじさんたち(多分そこそこ偉い人)に混ぜてもらいました。ゆるーく踊ったり、写真とったり、「〇〇君(JOCVの先輩)を知っているよ!彼にはお世話になったから君たちがもし旅行に行くなら僕の車で連れてってあげるよ!」なんて嬉しいことを言ってもらったり。

それ以外にも、旧正月で同じく上京中の同期隊員たちから「昼から飲む」という未踏の飲み方を経験させてもらったり、夜ドミに戻ってからも寝る前にビン1本飲んでみたり。「ちょっと飲んでみる?」「大丈夫?」「無理してない?」と、練習に付き合ってくれて心配もしてくれて。

お互いの任地での生活や活動の話なんかをしながら、メコン川沿いでゆっくり飲むビアラオ、うめぇ。ちょっと飲んだら眠くなるけど、昼間のうだるような暑さの中飲むビアラオも、うめぇ。

 

結局のところ、私が今回ここまで拒絶反応を示したのは、

①「文化だからと断りにくい環境を作り、何度もイッキを強要される」という事自体に強いアレルギー反応を起こしキンビア自体受け付けなくなっている(7割)

②「ラオスを理解しようとしていない、楽しくない」と否定されたことに純粋にショックを受けた(2割)

③無理やりやれと言われたことをやりたくない意地(1割)

かなあ、と、首都滞在を終えて思ったのでした。

 

自分の習慣に無いものを強要されるというのは結構苦痛ですが、もし逆の立場でそうなった場合に拒絶反応を示してしまうというのは、きっとラオスの人も同じこと。活動の上で自分がそうしないように、自分が28年間でつくってきた「普通」は一旦捨てて、時間がかかるとしてもひとつひとつの事を丁寧に確認しながら活動していきたいと思いました。

 

ちなみに、ヤケ買いしたアルコール入りのアップルサイダー

 

 

キンキンに冷えてます。だって1本もよう飲まんもん・・・。

隣の醤油のほうがよっぽど美味しそうや。

 

余談。

自分の時間がたくさん持てて、読書や情報発信に時間をつくりやすい今の生活。せっかくなら読書と文章づくりの質をあげる練習をしてみようと、「東大読書」「東大作文」なる本を買ってみました。いつもはだいたい2000文字ぐらいで力尽きるのですが、1万文字ぐらいのボリュームで書いたらどれぐらいの内容になるんだろうというちょっとした好奇心で、旧正月最終日を使って、写真少な目・文多めの1万文字記事を書いてみました。結構文章書くのって体力が要るんですけれども、写真に頼ってばかりではいつまで経っても文章が書けるようにならないので、今後も不定期でやっていく予定です。大した内容ではありませんが、また次回もお付き合いください。